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熊本県指定重要文化財 下里御大師堂の保存修理工事

当社が設計・監理を行った、下里御大師堂の保存修理工事が完了しました。下里御大師堂は球磨郡湯前町下里区に位置し、県内では最古の弘法大師坐像(応永7年〈1400〉)を祀る茅葺の三間堂です。

下里御大師堂ではこれまで地域住民により定期的な屋根の葺替え修理などが行われてきましたが、礎石の不動沈下や軸部の歪み・傾斜、部材の腐朽・蟻害などが顕著に確認されるようになりました。そのため、湯前町が令和2年2月より解体工事に着手し、令和5年1月に保存修理工事を完了しました。現在は防災設備工事の一部を進めているところです(8月完了予定)。

本堂宇の開基や沿革には不明な点が多いのですが、安永2年(1773)に描かれた「球磨絵図」に、吉祥院の脇に御大師堂が描かれていることから、同院の持仏堂であったことがうかがえます。堂宇の創建は堂内に残る祈祷札やその様式から延宝期のものと推定されていたものが、解体中に発見された墨書により延宝4年(1676)であることが裏付けられました。内部の厨子と須弥壇は別の堂宇からの転用で、薄肉彫刻に彩色を施した羽目板の背面には天正9年(1581)の墨書が確認されています。職人は関東常州の出身の賀吽で、地元の若い職人とともに製作されたことが記されています。賀吽の作品は当地域の別の遺構でもその作例が残されており、中世における人吉地方の職人の系譜を知る上でも貴重なものと考えられます。

御大師堂の軸部には多数の転用材が使用されていることは、解体前の状況から確認されていましたが、解体後の調査により全部材の3割以上を占めていることが分かりました。転用材は打ち割式製材という、たて挽きののこぎりが登場する以前の古式の製材方法で、仕上げはやりがんなや丸刃のちょうなで行われています。転用部材の中には、転用前の堂宇の規模・様式を推定できるものが多数含まれており、禅宗様の五間堂を主として、数棟の建物から部材を寄せ集めた状況が分かりました。また部材の年代としては炭素年代測定の結果により、15世紀~16世紀のものと判明しました。その当時、五間堂以上の堂宇がこの地域に存在していたことを示す点も、本堂宇の特徴といえるでしょう。

修理に際しては極力当初材をいかし、堂宇創建時の状況を伝え残すことを目的に転用材においても積極的に修理し、9割以上の部材を再使用しました。また、耐震診断の結果をもとに不足する耐力を補強して組立てを行いました。

宝暦10年(1760)に著された「門中堂社幷代々先師書」には、その維持管理については「所修理」として地域住民の手で行われてきたことが記録されています。茅葺屋根の建物が多く残る当地方においても建立以降、茅葺が維持され続けた事例の方が稀少で、その維持管理には並々ならぬ苦労があったものと考えられます。
堂宇の管理は現在湯前町に委ねられ、町は境内の裏手を流れる都川と一体的に活用する整備計画を進めています。中世の原風景が残るこの地域を、ぜひ一度訪ねてみてください。

修理前
修理後 外観
修理後 内観
1:床板は打ち割式製材の加工痕が残る転用材、足固は台輪の転用材が用いられている。いずれも15世紀中頃に伐採されていることがわかった。
2:屋根解体中の化粧垂木の状況。半数以上が転用材であり、このように角柱の拝殿や持仏堂、小規模な堂宇で化粧垂木を備える事例は非常に稀である。転用垂木の反りを採用しているので、江戸期にありながら中世的な軒廻の様相を呈している。
3:9点あるうちの羽目板の一例。朱色に水銀朱が用いられており、塗替えの痕跡がみられず、当初の塗装面と推定される。背面に天正の墨書がある。